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第205話:偉大なる忘れ物

70代くらいの男性二人が再会を喜び合っています。

  • 「いやー、ご無沙汰ですね。お元気ですか?」
  • 「はい、おかげさまでなんとかやっております。」

皆さん、めいめい自己紹介をしてくださいます。

  • 「私は昭和5年生まれですよ。」
  • 「僕は昭和7年。」
  • 「私は国民学校2年生で終戦を迎えました。」

台北での記念例会の始まる前の一こまです。台湾人同士が流暢な日本語でお話をされているだけでも私にとって相当驚きなのですが、ご自分の生まれた年を「昭和」という元号でご紹介されたことにものすごくびっくりしました。

ご自分のお名前を紹介されるときも、中国読みではなく日本語で感じを音読みするときのやり方です。

  • 「初めまして、日本から来ました東と申します。どうかよろしくお願いいたします。」
  • 「初めまして。東さん。か・たつ・じんと申します。」(何達人さんとの会話で。何さんの名刺をいただきながら)
  • 「あぁ、達人さんなのですね。」
  • 「はは、そうです。達人です。」

自分は確かに台湾という別の国にいるはずなのに、流暢に日本語をお話になる大先輩たちと一緒にいる。台湾にいるという事実を忘れれば自分にとっては普通の違和感のない空間です。

会場でひときわ美しい上品な日本語をお話になる銀髪の美しい小柄な女性に気がつきました。忙しく記念の例会の準備をされていらっしゃいます。詩吟9段の孫秀さんです。

残念ながら、私の日本語力では孫さんの美しい日本語をここに再現できません。でも孫さんの日本語の美しさを皆さんにどうしてもお伝えしたい私は、いちばんよいたとえを見つけました。孫さんの日本語は、まるで美智子皇后陛下の日本語のようでした。教養も知性も品格に加えてユーモアもおもちの孫さんの日本語を聞くと、背筋をぴっと伸ばさざるを得ません。孫さんは記念例会で大活躍されたので美しい日本語を堪能させていただきました。

さらに翌日20日の桃園成功日本語演説会で出会ったトーストマスターの皆さんの日本語にも本当に感動しました。

テーブルトピックマスターの尤(日本語音読みで「ゆう」)さん。まったく違和感のない日本語。鹿児島弁、江戸っ子の言葉も使い分けをされます。

プリペアドスピーチで、「待てば海路の日和あり」というスピーチをされた施(「し」)さん。「雪と火山のくに - アイスランド」をされた柯(「か」)さん。お二人からは幸運なことにスピーチの手書き原稿をいただきました。私にはこんなにきれいな字は書けません。施さんの「待てば海路の日和あり」は、まるで講談のような生き生きとしたリズム感を持ったスピーチです。日本人ならばいちどこういうスピーチを書いてみたいと思いました。

そして今回本当にお世話になった蕭(「しょう」)さん、奥様の陳(「ちん」)さん。お二人ともとても教養のある日本語をお話になります。蕭さんとは何度も日本語メールをやり取りしましたが、いただいたメールを読みながら蕭さんのような立派な方とメールをいただけるとは本当に光栄と思いました。

10周年記念例会では日台交流協会の日本人職員の方と話す機会がありました。日本と台湾は国交がありませんから、大使館もありません。その代わりに交流協会が大使館と同等の役割をされています。この日本人の職員は、外務省の方ですが台湾では民間の立場でお仕事をされているとのことでした。この方が以前台湾での日本語学習熱を調査されたそうです。その結果、非常にたくさんの人が日本語を学ばれているという結果が出ました。

日本が台湾を植民地としていた50年間に日本は国民学校を作って台湾の方々の教育をしました。以前、台湾人の実業家である蔡焜燦さんがお書きになった国民学校の思い出なる座談会の記録を読んだことがあります。

蔡さんが台湾で入学された日本の国民学校の音楽室には、立派なオーディオ装置。著名な音楽家、演奏家たちのレコードの全集がそろえてありびっくりしたそうです。その蔡さんをみた日本人の先生は、「内地(日本ですね)でもこれだけの設備がそろった学校はなかなかない。」と胸を張ったそうです。蔡さんは「これが植民地の学校といえるのか?本国よりも立派な学校を植民地に作り、植民地の人々に惜しげもなく通わせるとは。」と非常に感銘を受けたとのことです。

1895年から1945年まで日本は確かに台湾を植民地としていました。そこで何をしたのか私には正確に語る知識はまだありません。

台湾で実際に日本語を流暢にお話になり、自分の生年を「昭和」という元号でお話になり、詩吟を楽しむ「一世」の方々の存在。この世代の方々は、子供に聞かれて困る夫婦の会話は日本語に切り替え、また街中で同世代の人に会うと、懐かしくなって日本語で話しかける。さらに、日本舞踊を習い日本のマンガなど日本の文化を愛し日本語を勉強している「二世」「三世」の皆さんの存在。

そういう皆さんがいることを、多くの日本人たちは知らない。私も、小林よしのりの「台湾論」を読むまで知りませんでした。

記念例会後のパーティーである年配の方にいろいろなお話を伺う機会がありました。

「日本は本当は台湾を独立させたかった、しかしマッカーサーの指令でそれもできなかった。マッカーサーの指令で日本人はみな引き上げてしまい、その後台湾の処遇は3年間決まらなかった。そうしているうちに中国本土から蒋介石の国民党が逃げてきた。国民党は台湾に対して本当にひどいことをした。国民党の悪口を言うものはどんどん逮捕され殺されてしまった。怖くて仕方がなかった。だから中学生だった僕は昼間から酒を飲み不良のふりをした。不良だったら誰も相手をしないから。でも僕は、本当は台湾も沖縄のように日本の一部でいてほしかった。東さん「裏切られた台湾」という本が最近でたからぜひお読みなさい。」

この先輩のお話を聞きながら、私たち日本人が台湾に残してきた忘れ物の大きさに気がつき、一人の日本人として何かできることはないだろうかずっと考えています。

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