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第358話:TOASTMASTERマガジン3月号 Thinking Like A Loser裏話

TOASTMASTERマガジンの3月号の8ページからのTHINKING LIKE A LOSERという記事をご覧になった何人かの方から「読みましたよ。」と声をかけていただいています。

この記事の裏話です。

昨年12月にCompeting in Toastmastersという件名のメールが送られてきました。送り主はJohn Kindeという人。メールを見ると、「「コンテストで負けること」というテーマでTOASTMASTERマガジンの記事を書いている。TOASTMASTERSマガジンの編集者からあなたを推薦されたのでこのメールを書いている。」とあります。

John Kinde。なんか変わった名前。それゆえ、記憶に引っ掛かりが。思い出した。昨年のカルガリの世界大会の最終日World Championship of Public Speakingが終わった後のワークショップをやった人でした。

TOASTMASTERマガジンの編集部からご指名されたり記事に貢献できるのは光栄でうれしいしのですが、「コンテストで負けること」についての記事で私をご指名とは、、、なんか微妙な気持ちです。

メールを読み進めると、「負けることの痛み、負けてもまたチャレンジするモチベーションについてなど書いてほしい。」とあります。「そうですか、わかりました。それならお任せください。」と、私の経験を書いてJohnに送りました。

先日、3月号が送られてきたのでめくっていると彼の記事が出てきて読み進めると、Jock Elliottと私が登場する記事となっています。Jock Elliottはこの記事でもお分かりのように世界大会の決勝に5回出ているオーストラリアの「名人」です。

昨年、Inter-District Aでご一緒させていただきました。彼はもちろん優勝し、決勝に進みました。Inter-Districtが終わったときに、私のところにやってきて、私のスピーチの時間が7分26秒だったと教えてくれた人なのです。各コンテスタントのスピーチの時間を計っていたのか。びっくり。さすがベテラン。

そんな名人と、しかも北米以外のトーストマスターをご指名とはとてもうれしかったです。

さて、記事の中で引用された私の言葉について、どんな状況でそう思ったか補足いたします。

“On my way back from the 76th International Convention, I was thinking about the Inter-District and International contests and realized that there are no losers in a Toastmasters contest.” (10ページ)

2007年に初めてDistrictの先の大会(アリゾナ州フェニックス)に出場してさらに世界大会全日程に参加して、ものすごく感動しました。サンフランシスコから成田へ向かう飛行機の中でも一睡もせずにコンテストのこと、出会った人々のこと、数々のワークショップのことを思い出していました。

成田で、横浜行きの成田エクスプレスに乗り換えて、Distinguished Districtの発表のことを思い出していました。DCPと同じようにDistrictを対象としたDDPというのがあります。その発表を聞きながら、「トーストマスターズっていうのは勝ち負けではないんだ。」と悟りました。みんなで達成しよう。ただ、それだけなのです。

スピーチコンテストも同じです。もとよりコンテスタントはみな違うスピーチを持ち寄ってコンテストに出ます。その中でジャッジからよいポイントをもらえた人が入賞するだけで、入賞しなかった人が「負け」たわけではない。トーストマスターズって敗者のいない世界なんだなと思いました。横浜に近づく成田エクスプレスの中でそのことに思いをめぐらしてものすごくモチベーションが高まりました。

(ご参考:第145話:Simply Amazing! (敗者のいない世界))

“I didn’t win. I was shocked. Several weeks later I watched my contest performance on video. I was shocked again! I was a monotonous robot and was speaking too fast. I found lots of room for improvement.”(10-11ページ)

これは、2002年春に大阪で行われたDistrict Contestと2003年春東京新橋で行われたDistrict Contestの両方のことです。どちらのコンテストに向けてものすごく練習しました。少なくとも回数だけは誰にも負けないくらい。

それくらいの自負をもってコンテストに臨みましたので、入賞できなかったショックと失望感はとても大きかったのです。「なんでだろう?あんなに練習をしたのに。」

しばらくして、実行委員会からビデオをいただきました。

「なんじゃ、これは?」

とくに2002年の春のコンテストでのスピーチは、ただステージを動けばいいのだろう、とばかりにステージを落ち着きなく右へ左へうろうろとしています。

最初のころはカメラマンも私の動きを追っていましたが、カメラマンの予想を越える激しく幅のある動きで、カメラの視界の外に出てしまい、カメラマンもあきらめて正面で固定してしまいました。

それに引き換え優勝したカレン岡野さん、2位の浅井さんのは「目的のある」ステージの使い方で感心しました。2003年のNatto is Yummyも同様。ビデオをみると本当にがっかりしました。今でもビデオを見るのは怖いのです。

“As I watch my ‘best contest speech,’ I’m glad that I’m still discovering ways to improve my performance. It inspires me to think: Yes, I can do more!” (28ページ)

2007年5月の代々木のD76コンテストで優勝したとき、"I Love You"こそが、自分のベストスピーチでした。しかし、後日いただいたDVDを見て、「なんじゃ、こりゃ。まだまだだなー。もういっちょがんばるか。」そんな気になりました。

2008年5月の広島のD76コンテストで優勝したとき、"Priorities"こそが、自分のベストスピーチでした。しかし、後日いただいたDVDを見て、「なんじゃ、こりゃ。まだまだだなー。もういっちょがんばるか。」そんな気になりました。

そして2008年8月のカルガリのInter-District Aコンテストの"The Painfule Peace-making process"は間違いなく自分のベストスピーチでした。出場した一ヵ月後にDVDを見たとき「なんじゃ、こりゃ。まだまだだなー。」 

ただこのときは正直言って疲れていたので、がんばろうという気持ちが戻ってくるまで5ヶ月くらいかかりました。

これまでの足跡をみて、当時に比べて確実にスキルが伸びていることを考えると、気持ちさえあれば、人間ってまだまだ伸びるんだと確信しています。Jock Elliotも昨年の決勝を60歳という年齢で迎えたのです。年齢とともにスピーチはワインのように豊かになると思います。

「勝てなかった」経験があったからこそ、ここまで来れました。

「勝てなかった」からこそ、いろいろな人から教えをいただきました。

「勝てなかった」からこそ、Toastmasterマガジンから声をかけていただきました。

「勝てなかった」というのも、そんなに悪くはないです。

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